先日、実家のお祭りがあり、母と小学生の頃の友達の近況などを話していました。
幼なじみの中には、若干の知的障害のある子もいて、その子のお母さんが最近亡くなったこと、お父さんはどうしているかなど話しているうちに興味深いことを聞きました。
無から有を生み出す力
なんでもその子のお父さんは、この街で1番のタコとり名人なんだそう。
子供時代の私の中で、知的障害がある幼なじみのお父さんもまた、幼なじみと同様、若干の知的障害者だと思っていたのでちょっと意外でした。
母の口調から、漁協組合でも一目置かれているような雰囲気でした。
スーパーで売っているタコの足は2本で300〜400円もします。
8本あるタコ全体の1匹の値段は、1600円以上でしょうか。
タコを取って漁協組合へ持ち込むと仮に1000円で売れるのであれば、20日間で¥20000の収益になります。
まあ、毎日取れるかはわからないですし、冬の間は無理でしょうから、安定した収益にはなりませんけど、自分の胃袋に消化してもいいわけで、冷凍しておけば1週間分の食料になります。
そういえば、夫の実家の義父も自分で漁をして、帰省した私たちに新鮮なお魚を食べさせてくれます。
春になれば、所有する山で取れる山菜やきのこ料理が楽しみで、遠い奥能登に無理をしてでも帰りたくなります。
自然を相手にする農業は大変だと聞いていますが、祖父母の生き方や暮らし方を見ていると、あくせく働かなくても食べていけるのではないかと思えてきます。
独自の方法論があってその道では誰にも負けないものを見つける
本当に価値があるのは、お金ではなくて、独自のやり方、価値観を見つけることです。
例えば、へき地の高齢者ばかりの村で、ツマとなるモミジや葉っぱの事業を起こして有名になった会社があります。
幼なじみのお父さんも、独自のやり方で、誰にも真似できないタコ漁を極めて、知的障害というハンデがありながらも、地域での居場所を確固としたものにしています。
無理をしないで生きぬく力とは?
実際は時間もかかり、なかなか難しいことでしょう。
好きなことを楽しみながら身につけられたらいいですね。
子どもの頃から魚釣りをしたり、昆虫を採ったり、、、時間を忘れて没頭する体験が後につながっていくように思います。
また、親や祖父母などの生活の知恵って、子どもの頃は分からなくても、大人になると思い出して、同じ事をしていることがあるので、短い間でも一緒に生活する、お手伝いするっていいことなのかもしれません。
子どもにほ、大人になって仕事仕事で流されるだけの生活で、体を壊してほしくありません。
今の世の中、ストレスで体ばかりかメンタルをやられる人も多いです。
追い詰められる前に立ち止まって、帰るところがあることを思い出してほしいな。
もし、大きくなって生活に困るようなことがあったとしても、最低限、漁をしたり、山菜をとったりして、生きていけると思うからです。