今日はいきなりですが、
青空文庫から『銀河鉄道の夜』の一部をご紹介します。
宮沢賢治作『銀河鉄道の夜』の白鳥停車場の場面からの抜粋
さわやかな秋の時計(とけい)の盤面(ばんめん)には、青く灼(や)かれたはがねの二本の針(はり)が、くっきり十一時を指(さ)しました。みんなは、一ぺんにおりて、車室の中はがらんとなってしまいました。
〔二十分停車(ていしゃ)〕と時計(とけい)の下に書いてありました。
「ぼくたちも降(お)りて見ようか」ジョバンニが言(い)いました。
「降(お)りよう」二人(ふたり)は一度(ど)にはねあがってドアを飛(と)び出して改札口(かいさつぐち)へかけて行きました。ところが改札口(かいさつぐち)には、明るい紫(むらさき)がかった電燈(でんとう)が、一つ点(つ)いているばかり、誰(だれ)もいませんでした。そこらじゅうを見ても、駅長(えきちょう)や赤帽(あかぼう)らしい人の、影(かげ)もなかったのです。
二人(ふたり)は、停車場(ていしゃば)の前の、水晶細工(すいしょうざいく)のように見える銀杏(いちょう)の木に囲(かこ)まれた、小さな広場に出ました。
そこから幅(はば)の広いみちが、まっすぐに銀河(ぎんが)の青光(あおびかり)の中へ通っていました。
さきに降(お)りた人たちは、もうどこへ行ったか一人(ひとり)も見えませんでした。二人(ふたり)がその白い道を、肩(かた)をならべて行きますと、二人(ふたり)の影(かげ)は、ちょうど四方に窓(まど)のある室(へや)の中の、二本の柱(はしら)の影(かげ)のように、また二つの車輪(しゃりん)の輻(や)のように幾本(いくほん)も幾本(いくほん)も四方へ出るのでした。そしてまもなく、あの汽車から見えたきれいな河原(かわら)に来ました。
カムパネルラは、そのきれいな砂(すな)を一つまみ、掌(てのひら)にひろげ、指(ゆび)できしきしさせながら、夢(ゆめ)のように言(い)っているのでした。
「この砂(すな)はみんな水晶(すいしょう)だ。中で小さな火が燃(も)えている」
「そうだ」どこでぼくは、そんなことを習(なら)ったろうと思いながら、ジョバンニもぼんやり答えていました。
河原(かわら)の礫(こいし)は、みんなすきとおって、たしかに水晶(すいしょう)や黄玉(トパーズ)や、またくしゃくしゃの皺曲(しゅうきょく)をあらわしたのや、また稜(かど)から霧(きり)のような青白い光を出す鋼玉(コランダム)やらでした。ジョバンニは、走ってその渚(なぎさ)に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河(ぎんが)の水は、水素(すいそ)ももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流(なが)れていたことは、二人(ふたり)の手首(てくび)の、水にひたったとこが、少し水銀(すいぎん)いろに浮(う)いたように見え、その手首(てくび)にぶっつかってできた波(なみ)は、うつくしい燐光(りんこう)をあげて、ちらちらと燃(も)えるように見えたのでもわかりました。
川上の方を見ると、すすきのいっぱいにはえている崖(がけ)の下に、白い岩(いわ)が、まるで運動場(うんどうじょう)のように平(たい)らに川に沿(そ)って出ているのでした。そこに小さな五、六人の人かげが、何か掘(ほ)り出すか埋(う)めるかしているらしく、立ったりかがんだり、時々なにかの道具(どうぐ)が、ピカッと光ったりしました。
「行ってみよう」二人(ふたり)は、まるで一度(ど)に叫(さけ)んで、そっちの方へ走りました。その白い岩(いわ)になったところの入口に、〔プリオシン海岸(かいがん)〕という、瀬戸物(せともの)のつるつるした標札(ひょうさつ)が立って、向こうの渚(なぎさ)には、ところどころ、細(ほそ)い鉄(てつ)の欄干(らんかん)も植(う)えられ、木製(もくせい)のきれいなベンチも置(お)いてありました。
「おや、変(へん)なものがあるよ」カムパネルラが、不思議(ふしぎ)そうに立ちどまって、岩(いわ)から黒い細長(ほそなが)いさきのとがったくるみの実(み)のようなものをひろいました。
「くるみの実(み)だよ。そら、たくさんある。流(なが)れて来たんじゃない。岩(いわ)の中にはいってるんだ」
「大きいね、このくるみ、倍(ばい)あるね。こいつはすこしもいたんでない」
「早くあすこへ行って見よう。きっと何か掘(ほ)ってるから」
二人(ふたり)は、ぎざぎざの黒いくるみの実(み)を持(も)ちながら、またさっきの方へ近よって行きました。左手の渚(なぎさ)には、波(なみ)がやさしい稲妻(いなずま)のように燃(も)えて寄(よ)せ、右手の崖(がけ)には、いちめん銀(ぎん)や貝殻(かいがら)でこさえたようなすすきの穂(ほ)がゆれたのです。
だんだん近づいて見ると、一人のせいの高い、ひどい近眼鏡(きんがんきょう)をかけ、長靴(ながぐつ)をはいた学者(がくしゃ)らしい人が、手帳(てちょう)に何かせわしそうに書きつけながら、つるはしをふりあげたり、スコップをつかったりしている、三人の助手(じょしゅ)らしい人たちに夢中(むちゅう)でいろいろ指図(さしず)をしていました。
「そこのその突起(とっき)をこわさないように、スコップを使いたまえ、スコップを。おっと、も少し遠くから掘(ほ)って。いけない、いけない、なぜそんな乱暴(らんぼう)をするんだ」
見ると、その白い柔(やわ)らかな岩(いわ)の中から、大きな大きな青じろい獣(けもの)の骨(ほね)が、横に倒(たお)れてつぶれたというふうになって、半分以上(はんぶんいじょう)掘(ほ)り出されていました。そして気をつけて見ると、そこらには、蹄(ひづめ)の二つある足跡(あしあと)のついた岩(いわ)が、四角(しかく)に十ばかり、きれいに切り取られて番号(ばんごう)がつけられてありました。
「君たちは参観(さんかん)かね」その大学士(だいがくし)らしい人が、眼鏡(めがね)をきらっとさせて、こっちを見て話しかけました。
「くるみがたくさんあったろう。それはまあ、ざっと百二十万年(まんねん)ぐらい前のくるみだよ。ごく新しい方さ。ここは百二十万年前(まんねんまえ)、第三紀(だいさんき)のあとのころは海岸(かいがん)でね、この下からは貝(かい)がらも出る。いま川の流れているとこに、そっくり塩水(しおみず)が寄(よ)せたり引いたりもしていたのだ。このけものかね、これはボスといってね、おいおい、そこ、つるはしはよしたまえ。ていねいに鑿(のみ)でやってくれたまえ。ボスといってね、いまの牛(うし)の先祖(せんぞ)で、昔(むかし)はたくさんいたのさ」
「標本(ひょうほん)にするんですか」
「いや、証明(しょうめい)するに要(い)るんだ。ぼくらからみると、ここは厚(あつ)い立派(りっぱ)な地層(ちそう)で、百二十万年(まんねん)ぐらい前にできたという証拠(しょうこ)もいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層(ちそう)に見えるかどうか、あるいは風か水や、がらんとした空かに見えやしないかということなのだ。わかったかい。けれども、おいおい、そこもスコップではいけない。そのすぐ下に肋骨(ろっこつ)が埋(う)もれてるはずじゃないか」
石の世界は、リアル宮沢賢治の世界
子供たちと探石や化石採集をするようになって、一番の収穫は、宮沢賢治の世界観が手に取るように
わかるようになったことです。
金剛石、水晶、黄玉(トパーズ)、黒曜石、
鋼玉(コランダム)、月長石、、、。
銀河鉄道の夜に、ちりばめられている、石の名前。
実際に収集することで、岩盤の様子や周りの景色も想像がつきます。
クマやイノシシが出るような山奥や、川原だったりするので、賢治の生きた頃とあまり変わっていないのでしょうね。
数年前、図書館で子供と偉人の伝記を読んでいた時、宮沢賢治が石っこケンさんと呼ばれるくらい石好きだと知りました。
いままでとっつき難いと思っていたのに、急に親近感が湧いてきました。
去年の11月には某博物館で、国立科学博物館のミニチュア版のような展覧会があり、子どもが持っている石とくらべることができました。
未収集のものもチェックできました。
宮沢賢治の石と星
特に、銀河鉄道の夜には、“水晶”がよく出てきます。
写真は、サンダーエッグといって、真ん中が水晶です。
磨くともっと綺麗です。
引用した、白鳥停車場の場面は、化石採集の場面です。
私も川原でくるみの実の化石を拾ったことがあります。
(後日写真掲載予定)
銀河鉄道の夜の停車場は、白鳥座のくちばしの部分だろうか、青白い。
大熊座
双子の妹は、蠍の毒針部分
蠍の赤い火は、アンタレス
サザンクロスと暗黒星雲(コールサック石炭袋)
夏になると、地面に寝そべりながら、見た星々。
石と星。
宮沢賢治の世界を堪能できます。