わたしは、小説を書くわけではないけれど人の話を聞くのが好きで、聞いた話がたまたまおもしろいと文章にします。
人の話って、自分の住む世界と違えば違うほど、面白いです。
3度の食事より好きかも⁉︎ と言ったら、にわかに信じられないかもしれませんね。
あたかも、宝探しのお宝にあったような感覚になります。
自分の人生は1度きりだけど、他人の話を聞くことによって疑似体験している気分になるのかもしれません。
昨日は、ある高齢の女性の話を聞かせてもらいました。
上海租界の暮らし
※赤字は調べたこと、疑問に思ったこと
私は、子供の頃、7年間、上海で過ごしました。
(当時、終戦直前には、上海には日本人が10万人も居留していました)
日本人の国民学校に通っていました。
私の父は、姉が軍属のホテルを経営していたので、姉を頼って、上海に渡り、商売をしていました。
小さい頃は、そのおばさんに預けられていてなにかと意地悪されました。
私の父からお金をもらっていたはずなのに、私にだけおやつをくれなかったり。
そんな仕打ちがわかって、両親と住むことになりました。
当時は、学校へ行く道には、凍死した死体があっちにもこっちにも転がっていました。
母親が、こんな環境はダメだと言うと、父はすぐに新しい家を建て始め、学校の目の前の家に引っ越すことになりました。
新婚の学校の先生が、一間貸してくださいと言ってきましたが、断ると、嫌がらせを受けて、職業学校に進学願書を出されてしまいました。
成績が良かった私が職業学校に行くなんて、周囲は驚きました。
1年ほど職業学校に通ってやっぱりダメだということになり、父親が話をつけると言ってどこかに出掛け、第2高等女学校の試験を受けるにいたります。
第2女学校は、第1女学校よりレベルが高く中々入学できない学校でした。
(調べてみると、現在の上海外語大です)
当時、父親は、経営していた薬局を売ってもう一生働かなくてもいい財産が手に入りました。
周りの人が言うには、暖かいし、食べ物はあるし、台湾へ行ったらいいと勧められて台湾へいくのですが、1年ちょっとで終戦になり日本へ帰国の途に着きました。
財産は郵便局に預けておきました。
(当時のお金の価値と銀行の機能については?です。)
帰国して日本は食べ物もなく貧しかった筈ですが、引揚者には、1人10万円もの手当てが出て、父と母と私で3人家族だったのでひと月の収入が30万円ありました。
(当時のお金の価値としては謎が多い、本当か?)
そのお金で、某デパートで靴ズミを購入して商売し、他で売ると2、3倍で売れて本当に儲かりました。
19歳で結婚しました。
(略)
繁華街の大通りに面した建物を買い、ビジネスホテルを経営しました。
数年前売却し、今は娘のマンション住まいです。
まとめ
聞いた話を大まかにまとめてみました。
夫人は自分で、自分の人生はドラマのようだと言っていました。
夫人の優雅な物言いと雰囲気で、裕福な家庭で育ったことが伺い知れました。
私の拙い文章ではその雰囲気が伝わらないのですが、この夫人と同じ頃に上海にいたのが作家の桐島洋子さんです。
ときどき、雑誌などで上海の暮らしについて語っていてます。
現在、上海租界があった当時の建物が次々取り壊されているようなので、夫人にはお元気なうちに見せてあげたいと思いました。
追記
ノーベル文学賞を受賞した、カズオ・イシグロも上海租界をテーマにした本を書いています。